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  • azaminoone

板枕(人事考課考)

更新日:2020年9月29日

自宅兼事務所で掃除機をかけながら、こう考えた。

仕事をしていて、お客様に予想以上に感謝され、あげくに報酬までいただける。思えば、ありがたい職業だ。サラリーマン時代に、どんなにいい仕事をしたからといって、感謝されたことなど、多分ない。この違いの根源は何か、と考えるに、これは要は、労働の対価の構造の違いによるものだろう。

士業の報酬は、いうまでもなく成果物・役務(サービス)の完成・引渡しに応じての感謝の印(しるし)だ。これに対して、被用者の受ける給与は、自由時間の拘束の対価というのが第一義的位置付け。それが証拠に、基本的に成果が上がる上がらないに拘わらずもらえる(振込まれる)のが基本形。早い話が、何もしない従業員も、規定の額がもらえる。ただし、賞与と昇進は業績評価(考課)次第、というのが建前だが。

転職直後、人事部に配属され、考課制度の改善を命ぜられた際、これまで敵視してきた人事考課というものを、反対側から、どう変えたら納得性が高まるかと考え抜いたが、結局「成果主義」以外のアイデアには至らなかった。ただ、この「成果主義」も、日本の企業文化の中では相応の変容を遂げずにはすまない。所詮、人が同じ人を評価するには、自ずと限界があり、究極、好き嫌いの問題ではないか、と揶揄されるのも、あながち根拠のないことではない。 外国為替というものがある。ある通貨の価値を、他の通貨で等価交換できる割合として、表示するものである。大学で経済学の一項目として学びながら、妙な感想を抱いたことを記憶している。「一般均衡」の考え方からすれば、両通貨とも市場で交換される「財」の一種に過ぎず、それが証拠に一方が他方の尺度となる場合もあれば、他方が一方の尺度となる場合もある。つまり、いずれも相対的価値のもの同士で比較し合っている以上、「尺度」の方も時々刻々と変動している訳で、一意的な計測になっていないではないか、ということである。同じく経済学でいうと、資本の計測についても、同種の議論がある。

ヒトの評価が気にいらないからといって、越す国はあるまい。あるとすれば、ヒトでなしの国に行くばかりだ。されどヒトの評価を気にばかりして生きているのが、大半のヒト。まさに外国為替なみの、風見鶏のようなイイカゲンな尺度なのに。

脱サラして個人事業(フリーランス)の世界に入り、(ギグ・エコノミーの担い手として)仕事の評価と報酬というものを、別の角度から見直すきっかけになった、との思いを抱いている。

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ご参考 ⇒ https://www.aosjp.com/in-house-system-desiningjp (Ⅲ 社内制度設計・運用 → 3.)


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