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  • azaminoone

新シリーズブログ: シン・「私の履歴書」1 就職

更新日:9月2日

銀行員時代①


「「私の履歴書」、読んだよ。面白いねぇ、あれ。本にしたら?」

こんな風にお声をかけていただいたり、幸いにしてご好評をいただいております。

「でも、実際はあそこに書けないようなコトとかもあるんでしょ?」

そうなんです。ご明察。ただ、そこまで言っていただいているので、なんとか差しさわりのない範囲で、番外編も書いてみたいと思います。


さて、ようやく大学も卒業し、縁あってか都市銀行に採用されました。採用面接の場で、人事部のご担当から「最初の配属、何かご希望ありますか?」と訊ねられ、何を思ったか、「最初は一からの修行だと思っていますので、小さい支店でいろいろなことを学び、結果として見込みがありそうだなとご判断いただけたら、ゆくゆくは海外勤務も、と考えております。」などと殊勝(?)なことを口走ってしまい、本当に小さな郊外店(東京23区内ではありますが)に配属されました。ちょうど(第一次?)「就職氷河期」で、同行が当時の規模になって以来の最少人数の採用の年となり、男子総合職で百数十名、うち数十名は高卒もあり、という状況でした。金融業も「構造不況業種」、などと自虐的に語る先輩もいて、そろそろ、旧来型の営業スタイルでは儲からなくなりつつありました。


「旧来型の営業スタイル」というのは、銀行の郊外店の営業(内部では「外交さん」と呼ばれます)といえば、とにかく朝から晩まで頭を下げては預金をたくさん集めてくる、という例のアレです。ところが、高度成長はとっくに終わっていて、いわゆる「オーバーバンキング」(和製英語ですね)の状況です。つまり預金ばかり集めても、優良な融資先は奪い合いで、なかなか貸出し額が伸びないので、いわゆる「預貸利ザヤ」による利益額(貸出しによる資金収益マイナスコスト)が増えない訳です。それどころか、銀行にとって預金超過の状態となれば、コスト高なだけで減益要因ともなりかねないという、恐ろしい構造でした。


そこで、私の入行する前年入行の先輩から、(大卒?)総合職は全員、入行店で融資課(一部、外為課)に配属する、という大胆な「構造改革」に踏み切っていたのです。つまり、若手融資マンの目利きで優良な(つまり貸倒れにならなそうな)融資先をどんどん増やしてゆこう、という経営方針だった訳です。そして、外国語の能力があれば2年間、海外の大学院に留学させて国際業務も拡大してゆく、との方針も打ち出されていました。ちょうど、頭取が初の「海外畑」の方に交代となる年でもありました。


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