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  • azaminoone

シン・「私の履歴書」3 「サツカン」・イン・タシュケント

更新日:1月2日

銀行員時代③


「札勘」(さつかん=「札読み」)も慣れてくると、月に一度、区の「収納代行」に行くよう命ぜられました。地方税を現金納付する方々向けの窓口で、都市銀行等の新米行員の担当です。初めて目にする納付書を確かめながら、一覧表に手書きで書き入れ、その日の数十件の合計を合わせる、という仕事でした。他に、お取引先である私立学校の入学金の収納にも行きました。今は昔の感覚ですが、勘定しただけ預金していただける、という条件です。ひたすら札勘し、2時間程かけて黒の人造皮バッグ二つがいっぱいになり、ヨロヨロしながら支店に持ち帰りました。およそ2億円、つまり一万円札の「大束」(百万円の「小束」を10冊束ねたもの)が20個分で、信じられない重さです。


ずっと後(銀行からエンジ会社に転職後)に、長女が(大学)卒業旅行にウズベキスタンに行くというので何と、家族4人で連れだって旅行し、首都タシュケントからサマルカンド、ヒヴァへと回りました。ティムール朝の伝統を色濃く残す、まさしくエキゾチックな地です。交通標識などはウズベク語とロシア語の併記で、英語は全く通じませんでしたので、タシュケントとサマルカンドでは通訳ガイドさんに各1日ずつ、案内してもらいました。お二人とも実にきれいな日本語で、また当然ながら、歴史にもお詳しいので大変勉強になりました。当時のウズベキスタンは、ロシアから距離をとりつつ、小学校では英語教育を開始していて、日本などをお手本に、観光立国化を急いでいた時期でした。巨大な砂と岩の遺跡の地、ヒヴァでは、宿のご主人(女性)に英語で対応していただけたので助かりました。当地の皆さんは目鼻立ちがはっきりした方が多く、美男美女ぞろいです。我々は東アジア人の風貌で目立つせいか、また外国人観光客自体が珍しかったらしく、あちこちで人だかりができては「一緒に写真を撮らせてくれ」と、ちょっとした芸能人気分でした。


さて、当時当地は圧倒的に「現金社会」であり、また通貨「スム」は為替レートが安かったので、持ち歩く札束の厚さが半端ありません。名物のナッツやドライフルーツを一袋を買うのにも、相当の枚数のお札を渡す必要があります。そこで何度も両替が必要で、ガイドさんに街中の(レートの良い?)両替所に案内してもらいました。カウンターの前は順番待ちの人々でいっぱいでしたが、ガイドさんの「顔」で優先的に窓口に通してもらえました。さあ数センチの厚さのスムの札束です。やはり不安なので、ヨコ読み一閃「ザッザッ」と開くと、周りじゅう目を丸くした後、窓口担当の女性も含め、皆ニコニコ眺めています。東洋の君主国から来た手品師、といったところでしょうか。


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