外交官時代⑦
戦況は日に日に激しさを増しましたが、われわれ現地の人間は、CNNでそれを知るしかない、という不思議な状況でした。それほどに街中は平穏(少なくとも、表面上)で、大多数を占める移民労働者達は、何ごともなかったかのように生活していました(分かってはいても、何もできなかった?)。ただ欧米人、日本人は、めったに見かけなくなっていました。
2年の任期が迫りました。本庁から、任期を延長する気はないか、とのお話をいただきました。私自身に異存はありませんでしたが、(出向元である)銀行は、「戻れ」との意向でした。おそらく、私の身に何かあったら、との懸念からと思われます。
後任は、電力会社から来てくれました。輪番の某行は辞退したようだ、とのことです。航空便は極めて限られており、ルーマニア航空(ツポレフ機?)とのことで、板張りの床の隙間から、波がキラキラきれいだった、と言います。どうやら、耐気圧の関係で、低空飛行のまま、来たようです。彼の勇気に、限りない敬意を表しました。
引継ぎを終え、何社かを乗り継いで成田に帰りました。途中、機内食に和食が出て、涙が出そうになりました。最後は東方航空で、成田着陸とともに大拍手が沸き起こり、肝を冷やしました。
本庁にご挨拶し、銀行に戻りました。
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