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「私の履歴書」7 イスラム系インド人

更新日:1月16日

外交官時代④


勤務していた大使館のあるアブダビは、UAE(アラブ首長国連邦)の首都です。元々は「ベドウィン」と呼ばれた、ラクダや羊の遊牧民の地であり、「町以外に住む民」のその意のとおり、定住しない生活から、はっきりした領域国家をなさないままに両大戦を経て、1971年に6首長国で建国し、翌年に一つ加わって7首長国となりました。アブダビが首都となったのは、その圧倒的な産油量と経済力によります。当時、町を走る自動車の半分以上は日本車(特にトヨタ)で、また産出する石油の半分は日本に輸出されるという、持ちつ持たれつの友好関係でした。特に、日本の技術力に対しては信仰にも近い敬意を表し、また日本文化にも、並々ならぬ関心を示してくれていました。


政財界はベドウィンの末裔(エミレーティ、あるいはインマラーティ、俗に「ナショナル」とも)が支配していますが、人口構成としては少数派(1割)であり、他にテクノクラート層にパレスチナ人等が見られる程度でした。残る人口の大半を占めるのが、インド人が半分、パキスタン人が1/3という、移民労働者(「エクスパット」)です。湾岸地域は、古来、広い意味でのインド経済圏であり、その影響は食べ物などに顕著に残っています(カレーの類が人気など)。


公演や展示をやる際の実作業をしてくれるのは、大使館員側も、外部の人足側も、大半がこのイスラム系インド人です。したがって、彼らと「うまく」やれないと、何ごとも進みません。ところが、商社マンや自動車関係の方ならよくご存じのとおり、これが容易ではないのです。まず、倫理観において日本人とは全く異質な部分があります。「約束」というものの範囲についての認識が圧倒的に柔軟、とでもいうのでしょうか。いや、そもそも「インド人」とひとくくりにすること自体、無理があるでしょう(「インドは一国ではない」とも言います)。謹厳実直で「誠意」あふれるインド人にも会ったことはありますが、少なくとも当時、当地でやりとりした人々は前述の印象でした。加えて、イスラームです。時間管理の軸が「コーラン準拠」とでもいうべきか、一人一人がアッラーとのみ対峙するので(「インシアッラー」)、時計どおりではないのです。例えて言えば、約束の時刻に間に合わせようと無理に努力した結果、灼熱の砂漠で死んでしまったら、神のご意思に反する。文字どおり、「必死」はご法度です。


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