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「私の履歴書」21 ミドルの「仕事師」

更新日:2020年12月19日

銀行員時代⑭

こうして、内部監査と外部検査の対応は順調に進むようになりました。これと並行し、そのために現状の業務体制をどう改善しておくべきか、についても一層「説得性」が高まり、支店内各部の協力が得られるようになりました。融資管理課の存在意義も高まったと思います。フロント・バックオフィス間のギクシャクした関係にも「雪解け」が生じ、いつしか融資管理課は、「ミドル(オフィス)」と称されるようになりました。


過去、監査・検査への対応上、成約済の案件を遡って修正しなければならない局面も少なくなかったことから生じた「疑心暗鬼」が徐々に薄れ、予見可能性が高まり、各員の仕事がやり易くなったということでしょう。私こそ監査員・検査員と最も密にやり取りし、彼ら彼女らの意向を最も正確に把握できているとの自負から、何ごとも「現地現物」で問題解決し、その文書化(マニュアル化)により結了する、というスタイルを確立しました。結果として次の監査・検査が格段にスムースに済むようになり、各部署から感謝されることが多くなりました。上司から「仕事師」と、冗談半分に命名されたのはこの頃です。


自分の課の各シマのマネジャー達とは、始終打合せをし、業務改善に努めました。定期面談で目標設定をし、人事考課もやりました。彼女らのキャリアアップのために、どういった仕事のやり方が有効か、を共に考えました。時には、資格試験への挑戦や家庭環境の話も出ました。


この間に次女が生まれ、長女は現地の幼稚園から小学校に進みました。クラスの生徒は19人で、長女以外は皆、欧米系と見えました。現地カリキュラムでの初等教育の重要性を痛感しました。クラスの先生や他の父兄との交流も生まれ、長女の誕生会には多くの家族が参加してくれました。ある紳士的なお父さんからは、長女についてお世辞まで言われ、米国人のイメージが変わりました。NYという、国際都市ならではのことなのかもしれません。


長期休暇や連休には、ナショナルパーク(米国各地の「自然公園」、つまり景勝地)を中心に、可能な限り米国のあちこちを家族で旅行して回り、スケールの大きな自然を満喫しました。ただ、外部検査のスケジューリングにより、予約してあった旅行をキャンセルせざるを得ないことも少なくなく、4回連続の旅行キャンセルも経験しました。これは今でも、世界記録ではないかと思っています。

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