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「私の履歴書」20 米国人の本音

更新日:2020年12月10日

銀行員時代⑬


NY支店の「融資管理課」は私以下、総勢23名の部署で、5つのシマがあり、各々にマネジャーがいて、私にレポートする体制でした。メンバーの多くは中国系で(数字に強い)、キャリアアップ志向が強めでした。「相談がある」と寄ってきては、他部門、特にフロントオフィス(「クレジットオフィサー」と呼ばれる営業兼稟議担当者)との関係での悩みを訴えます。彼女ら(マネジャーは全員、女性)は、ダウンタウンのバックオフィス(オンライン記帳・送金係)とフロントとの間に立たされ、日々の細々した調整に疲れていました。原因の多くは、融資稟議や契約書の内容を事務方に指示する間のミスコミュニケーションによるもので、結局最後は自分たちの責任にされる、との被害者意識がありました。特に内部監査やNY連銀検査への対応では、どう説明したらよいのか迷うままに時間切れとなり、「指摘」や「不備」などと最終報告書に書かれてしまう、ということの繰り返しでした。


世界で最も厳しい、ともいわれたサンフランシスコ連銀検査で鍛えられた私が、もっぱら矢面に立ちました。最初の頃は、のんびりした西海岸の口調とは真反対の、早口でまくしたてる流儀に戸惑いましたが、比較的短期間のうちに特有のロジックを捉え、的確に応答できるようになりました。西海岸や南部支店対応で鍛えられた経験が生き、後追いの連続から、次第に先手を打って対策し、経緯を説明して納得させる、というサイクルに転じました。この点、検査する側とされる側の上下優劣が最後まで変わらない(「優越的地位」による)日本流の検査と異なり、理屈と結果さえ合理的なら素直に認め合う、という米国流の合理主義とプラグマティズムの関係が成立するので、気持ちよく仕事が運びました。


米国でのビジネス経験のある方ならお解かりいただけると思いますが、この地はある意味、大いなる「建前社会」です。様々な人種と思想が入り交じり、日本でいうような「阿吽の呼吸」の文化が成立しにくい社会構造といえます。本当の意味で「ハラを割って」共感し合える価値観が見出しにくく、例えば、パーティーの席などでは政治や宗教の話はタブーです。とりあえず車が故障したときの経験(なかなか直らず、苦労した話)をもち出して緊張をほぐす、などの面倒な「儀式」も、時として必要となります。


しかし、次第に気付くようになったのは、彼らも、実は共感し合いたいという点では同じなのだ、ということでした。ただ建前上、安易に妥協して決着した形にはできないので(アンフェアなので)、最後までこだわらざるを得ない訳です。例えば「規定上はこうでなければならないが、こういった運用上のゆれは認められる」との事象があるとき、彼ら(「検査族」)の間なら以心伝心で伝わる、特有の表現があるのです。メジャーリーグでいえば、大差で終盤を迎えた局面で、勝利確実なチームは(容易にできても)あえて盗塁はしない、のイメージです。合法違法だけではない、当不当の斟酌のモノサシが、米国にもあるのです。


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