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  • azaminoone

「私の履歴書」15 超激務Ⅴ(融資管理回収)

最終更新: 2020年11月15日

銀行員時代⑧


米国西部地域の地場(非日系)融資取引担当者として、これといった業績も残せぬまま、支店のもう一方の営業部門、日系取引課に配置換えとなりました。銀行員となって、初めて営業らしい営業担当者となった訳です。担当は、銀行国内本支店の大口コア取引先出資の現地法人以外の、中小の現地日系企業と、不動産融資でした。


日系担当先は、主にサンディエゴ、つまり米国西海岸のメキシコ国境に面する都市(米海軍の軍港がある、美しい街です)周辺に立地しており、製造業の場合は国境のメキシコ側のティファナという村に工場を有し、操業していました。当時のティファナは、一種の「関税特区」で、日本の名だたる家電メーカーの巨大なテレビ工場や白物家電工場がずらりと居並んでおり、その周辺事業、例えば箱詰めに使う発泡スチロールを作る工場などもあって、これらへの新規融資が私の担当でした。ロスアンゼルスのダウンタウンから、カンパニーカーを運転して3時間半ほどかかり、当時の商品である、変動金利の固定化(金利スワップ)スキームなどを提案していました。不慣れな営業で、取引をとるのは得意ではありませんでした。


一方の不動産融資担当というのは、一つには、当時著名だった日系不動産グループの現地法人へのもので、バブル時代に取得したアメリカの多くのオフィスビル等の取得資金融資の、主に回収交渉でした。東京の本社取引担当部署と連携しつつ、 不動産ポートフォリオの部分売却と、その回収資金による部分返済、また担保付替えなどを延々と続けるものです。


他に、現地の非日系不動産グループへの融資の、やはり回収交渉がありました。現地では知らぬ者のない不動産事業の大立者に、協調融資のもう一方の他行担当者と共に会いに行きました。当時、既に80歳前後かと思いますが、米国不動産不況のどん底にありながら、10年刻みで必ず市況は回復する、と断言する、正にデモーニッシュなオーナー経営者でした。


こんな中で、例によって真夜中、日付が変わろうとする頃合いに英文契約書案と格闘していると、まるで崖っぷちに後ろ向きで立っているような気分になったものです。かかとが少し出ていて、指先で胸をツンと押されれば、奈落の底。かといって、こんな詳細部分を相談できる相手は、東京にはいません。そこで、当地の不動産担保融資に造詣の深いAさんという、NY州法とカリフォルニア州法の弁護士資格も併せもつ日本人弁護士さんと、毎晩のようにやり取りしながら、回収交渉の算段を続けました。超人的なインテリジェンスと体力の持ち主で、毎夜、日付が変わった頃合いに契約変更の方向性をAさんのデスクの留守録に残して帰ろうとすると(とにかく忙しい方なので)、間もなく(夜中の2時頃)コールバックがあり、これから同法律事務所の東京オフィスの秘書に英文契約書文案をワードに打たせ、明朝(つまり数時間後)までにイーメールで返信しておきます、と言われ、仰天したものです。そろそろ、インターネットとイーメールがビジネスの常識として定着し、業務効率化が飛躍的に進んでいた時期でした。それにしてもAさん、いつ寝ていたのでしょう。


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