top of page
検索
執筆者の写真azaminoone

「私の履歴書」16 米国流金融文化

更新日:2022年6月8日

銀行員時代⑨


ロスアンゼルス支店で連日、このように激務をこなすうち、バンカーとしての経験値は徐々に上がっている、という実感がありました。


まず、前回も触れたドキュメンテーション(英文契約書作成・管理)の能力です。支店には、契約書管理担当の黒人女性がいて、様々に有益なアドヴァイスをくれました。彼女は、私が後で知ることになる「パラリーガル」(弁護士の補助者、または企業内法務担当者)であり、前回のA弁護士も一目置く、当支店の優秀なスタッフでした。こういう働き方があるんだ、と強く印象に残りました。


年に一回、サンフランシスコ連銀の検査が入りました。日本国内の本支店と同様、後に日本でも一般に知られることになった「MOF検」(大蔵省検査)や日銀考査も2~3年に一回はありましたが、これらとは異質の難しさのある検査です。まず、当たり前ですが、全て英語で、という問題。特に日系取引課では、英文で書かれる稟議はともかく、各種管理ツールのかなりの部分が日本語表記でしたが、これがそもそも論外でした。現地で許可事業(銀行業)を営む以上、現地当局がいつでも検査できる管理体制が求められます。従って、主要なツールについては、最低限、英訳を要します(可能な限り、英語そのもので行われるのがベスト)。これだけでも、相当の労力を要しました。そして、当時の日本企業が最も苦手としていた、「文書化」と「標準化」です。何ごとも「阿吽(あうん)の呼吸」で行うのを尊し、とする日本の企業文化とは相容れません。しかし、「法の支配」が当然の文化で生まれ育った彼ら検査官の目から見れば、あらゆるルールが文書化され、周知されて、それに忠実に業務が行われるのでなくては、業務過誤や不正を防止しようがないではないか、となります。今日の日本企業なら当たり前のこの論法を、当時、現地で実戦を通じて叩き込まれた訳です。自ずと、日常業務の節々において次第に理屈っぽくなり、米国流に考える習慣が身につきました。


この延長線上に、年に最低2週間は途切れなく休暇を取らせるべし、という現地金融当局からの指導がありました。当時、日本の同僚たちから羨ましがられたこの規制ですが、要は不正防止策です。つまり、2週間も自席を離れれば、万一不正を行っていたとしてもバレないことはあり得ないから、という理屈でした。実際に何年か前、当時の日系某行で腕利きと謳われた債券ディーラーが、実は伝票から何から全部改ざんし、何年も巨額の累積損失を隠ぺいしていた、との事件が発覚していました。彼は、何年も休暇をとっていなかったのです。私も途中から、長期休暇や3連休を利用して米国内を家族であちこち旅行するようになり、見聞を広めることができました。


採用や人事管理も、海外に出て、初めての経験でした。人権擁護に根差した発想が、米国企業文化の随所に徹底されていることに、感心しました。例えば、「OA床」がまだ一般的でなかった当時、日本ではまだ当たり前に行われていた、床上配線を「カマボコ」と呼ばれるモールで覆うことは、少なくともカリフォルニア州では禁止でした。実際、オフィスの通路に置かれた段ボール箱に事務職女性がつまずいて捻挫した際、救急車が呼ばれて大騒ぎになりましたが、私の懸念はむしろ、このような執務環境について当局からお咎めがないか、でした。





閲覧数:66回0件のコメント

Comments


bottom of page