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  • azaminoone

「私の履歴書」14 超激務Ⅳ(米国赴任)

最終更新: 1月7日

銀行員時代⑦


仕事漬けの毎日の中、パートナーと出会うことができました。間もなく結婚し、共働きが始まりました。毎週末、各駅停車で駅前の不動産屋を訪ね、ようやく住む所が決まりました。この間に妊娠が判り、妻は仕事を辞めることになりました。引越しが終わってやれやれ、というところで、海外赴任の辞令を受けました。ロスアンゼルス支店です。段ボール箱を開ける間もなく、あわただしく、再び引越しの準備にとり掛かりました。


一足先に赴任し、急いで住む所を探しました。ダウンタウンから東北方向の、閑静な住宅街に決めました。間もなく、妻が一人で来てくれました。妊娠9か月で、担当医師は一旦止めたものの、結局は渡航を認めてくれたとのことです。空港の到着ロビーで無事な姿を目にし、ほっとしました。間もなく、近くの病院で出産に立ち会いました。初産にしては短時間だったのですが、私自身も気分が悪くなってしまい、看護婦さん達に笑われました。 新たな生活になじむ間もなく、激務の毎日となりました。地場非日系向け融資で、新規と既存案件管理の両面でした。新規先の見極めと、東京向けの説明の、いずれにも苦労しました。既に日本側の融資審査のスタンスはより厳しくなっており、また当地では既存の不動産融資で回収に苦労する案件もある中、新規案件は、なかなか審査を通りません。東京側の審査担当者と夜通し電話協議を続け、その結果待ちでデスクで徹夜をしたあげく、その担当者に(日本時間)定時過ぎに帰られてしまい、怒りに震えたこともありました。当日は、「フレッシュアップデイ」(強制早帰り日)だったのです。


こうした中でも、遅い帰宅後や休日には、できる限り育児に努めました。子どもと遊んでいると、仕事の苦労も忘れました。激務をなんとかしのげたのは、家族の支えがあったからこそです。


一方、プロジェクトファイナンスやユーティリティー(公共事業)案件の返済管理では、米国流の「ドキュメンツ」(融資契約書)に初めて触れることになりました。大規模な案件だと、一セットでデスクの端から端まで、百科事典のようです。融資の専門用語や、コヴナンツ(財務制限条項)管理の実務を学びました。日本の不文律と慣例で管理するスタイルとは真反対の、細かく中間期限を設定し、客観的な財務指標の変動などによる条件変更等をあらかじめ明文にしておく手法は、新鮮でした。


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