メーカー時代⑩
以前、新しい仕事を始めると、(場合によっては)その初日から「業務マニュアル」を作り始めた、と書きました。法律や制度がからむ「ややこしい」仕事を社内でほぼ一手に任される立場となり、またその多くは定期的でないものでしたので、その際の業務経験をいかに次回(場合により、引継ぎ者のため)に活かすか、が課題でした。次回、突然に同種の仕事が発生した際、もう一度最初から法律や制度を調べ(確認し)直し、官庁公署に確認をとって仕事を進めていたのでは、時間がかかって仕方がないからです。このように、私が毎度詳細にわたって「業務マニュアル」をマメに作り続けたのは、何よりも自分自身を守るためであり(「時短」という意味でも)、「利他の精神」は、それによって副次的・自動的に達成されるものでした。
「そうは言っても、そもそも真面目に仕事をしていたなら、そうそう簡単に大事な手続きを忘れるものでもないだろう。」そうおっしゃる向きもあろうかと思います。しかし、それはルーティーン業務の場合の話です。いつ発生するか分からない、あるいは1年毎、半年毎の業務であっても、ある程度以上込み入った仕事は、とても記憶をたどるだけではこなせません。また、初回、次回、三回目と、成果物に微妙なバラつきが生じ易くもなります。ですから、特に微妙な節目やパソコン作業のシークエンスなどについては、できる限り詳細に書き残してゆきました。そのためにも、当日中、というか一作業終える都度、マニュアル化してゆかなければ、とても正確に書き残すことなどできなかった訳です。
もう一つ、常に心掛けていたことがあります。それは、各「業務マニュアル」の冒頭に、同業務全体を俯瞰する「概論」を記載することです。法、制度、新聞情報などを一とおり調べた結果を、冒頭にこのように体系化して記載しておくことにより、後日そのマニュアルに記載のない事象が発生したときなどに、大きな判断材料となるからです。こういった構造は、法律や法律書の構成によくあるものに似ているといえます。芦部信喜先生の憲法解釈論を引き合いに出せば、さすがにお叱りも受けるでしょう。しかし「歴史的解釈」とまでは申さずとも、ある体系がよって立つ経緯や構造を最初に大づかみに明らかにしておくことにより、個々の条文や制度について判断する際に方向性を大きく誤らずに済む、という効果は確かに期待できます。つまり、このような手法は「権威主義」でも何でもなく、単純に私流の「プラグマティズム」の形だったのです。
→ 次へ → ブログトップ → サイトトップ → 相続・事業承継ブログトップ → 略歴
コメント